東京高等裁判所 昭和55年(行ケ)273号 判決 1982年4月26日
原告
ニイミ産業株式会社
被告
特許庁長官
右当事者間の審決取消請求事件について、当裁判所は、次のとおり判決する。
主文
特許庁が昭和50年審判第10304号事件について昭和55年7月31日にした審決を取消す。
訴訟費用は、被告の負担とする。
事実
第1当事者の求める裁判
原告は、主文と同旨の判決を求め、被告は、「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求めた。
第2当事者の主張
(原告)
請求の原因
1 特許庁における手続の経緯
原告は、昭和46年6月8日名称を「ガス窯による燻し瓦の製造法」とする発明(以下「本願発明」という。)につき特許出願したところ、昭和50年9月9日、拒絶査定を受けたので、同年11月28日、審判の請求をし、この請求は昭和50年審判第10304号事件として審理されたが、昭和55年7月31日、「本件審判の請求は、成り立たない。」旨の審決があり、その謄本は、同年8月18日原告に送達された。
2 本顧発明の要旨
LPガス等のガス燃料を使用する焼成窯により瓦素地をガス燃料の燃焼による酸化焔熱により焼成したのち、バーナー口その他の窯の開口部を密閉して外気侵入遮断の処置を施し、窯内に前記と同じガス燃料をバーナー以外の供給口から燃焼させることなく送給して充満させ、1000℃~900℃付近の窯温度と焼成瓦素地の触媒的作用により前記の未燃焼生ガスを熱分解し、その分解によつて単離される炭化水素中の炭素を転位した黒鉛を瓦素地表面に沈着することを特徴とする燻し瓦の製造法。
3 本件審決理由の要旨
(1) 本願発明の要旨は前項記載のとおりである。
(2) 重油、石炭、薪などの焼成用燃料を燃焼させて瓦を焼成し、ついで外気の遮断下に石炭、薪、松葉などの燻化剤燃料をくべて焼成瓦の素地上に炭素から転移した黒鉛を沈着して燻し瓦を製造する方法は、昭和31年5月5日、日本印刷出版(株)発行、寺田清著「倒焔式加熱窯の理論と実際」第141頁~第149頁(以下「第1引用例」という。)に記載されており、本出願前公知である。
(3) 本願発明の燻し瓦の製造法では、瓦の焼成と燻化の双方にLPガスを使用しているか、LPガスは陶磁器の焼成用燃料の1つとして周知のものである(例えば、昭和38年10月発行「窯業協会報」第44頁~第47頁〔以下「第2引用例」という。〕を参照)上に、燻化剤燃料の作用物質たる炭化水素ガスそのものであつて、瓦の焼成と燻化に用いるLPガスを別々の供給口から焼成窯に送給することは燃焼の有無という相違からむしろ当然に考えつく程度のことにすぎない。
(4) そして空気との混和性や拡散性にすぐれているLPガスを瓦の焼成と燻化の双方に使用すれば、窯内における燃焼熱の分布および燻化ガスの分布が比較的均一でそれにむらがないと解されるから、本願発明の燻し瓦が焼むらや着色むらの少ないことは気体であるLPガスを使用したことから予想しうる範囲にあると認められる。
してみると、本願発明は上記引用例の記載に基づいて容易に考えられる発明である。
4 審決の取消事由
審決は、本願発明の進歩性についての判断を誤り、本願発明が前記引用例の記載に基いて容易に発明することができたものであるとの誤つた判断をしたものであつて、違法である。以下に詳述する。
1 構成要件について
審決は、本願発明が、瓦の焼成と燻化の双方にLPガス等のガス燃料を使用し、かつ、瓦の焼成と燻化に用いる右ガス燃料を別々の供給口から送給する構成となつている点につき、LPガスは、陶磁器の焼成用燃料の1つとして周知のものである(第2引用例)上に、燻化剤燃料の作用物質たる炭化水素ガスそのものであつて、瓦の焼成と燻化に用いるLPガスを別々の供給口から焼成窯に送給することは、燃焼の有無という相違からむしろ当然に考えつく程度のことに過ぎない、としている。
しかしながら、第1引用例(甲第3号証)にも示されているように、従来の燻し瓦の製造法において、燻化剤として使用されたのは、松薪、松葉、石炭等の固形の燃料を燻して蒸気体として使用するというものであつて、燻化剤たる炭化水素蒸気を窯内で発生させて燻し瓦に燻色を形成するため、
(a) 石炭、松薪、松葉等の固形燃料材料を使用し、
(b) 外気を遮断した窯内の高温の燃焼室内で乾溜する。
というものであり、LPガスその他のガス体燃料を燻化剤として直接使用するという技術思想は従来皆無であつたのである。右のように、ガス体の燃料を燻化剤として高温の窯内に直接供給するというのは、爆発のおそれがあり極めて危険であるとの一般感覚的な観念が先に立ち、誰も考え及ばなかつたのである。
本願発明の発明者は、このような既成観念を打破つて、従来焼成用としてのみ使用されていたLPガス等のガス体燃料を焼締焼成を完了した高熱の窯に直接供給して燻化剤としても利用することに始めて着想し、
① 従来のように、固形燃料材料を燻化剤として使用せず、
② 従来のように、窯の燃焼部として特定された位置で加熱して炭素を残溜する乾溜を施すことなく、
③ 窯の燃焼部たるバーナー以外からガスを供給して窯内に分散充満させる、
ことを内容とする本願発明を完成することにより、「ガス窯による燻し瓦の製造法」として従来の技術常識からは考えられなかつた進歩をもたらしたのである。
審決は、LPガスが燻化剤の作用物質たる「炭化水素」そのものであるとして、本願発明の進歩性を否定しているか、この判断は、材料物質の化学的性質の分析にのみにはしり、発明が自然法則を利用した技術思想の創作であることを無視するもので誤りである。もし、審決の尺度をもつてすれば、燻し瓦の燻化材としていかに新規有効な材料を開発し、画期的な効果を挙げようとも、それが「炭化水素」であることの一事をもつて発明の成立は悉く否定されることになるのであつて、その不当なことは明らかである。
また、本願発明において燻化剤としてのガス燃料をバーナー以外の供給口から供給することは、
(イ) 焼成窯をバーナー口その他の窯の開口部を密閉して外気の侵入を遮断する措置を施す必要がある、
(ロ) 燻化剤としてのガス燃料を燃焼させることなく送給して充満させる必要がある、
ところから必要とされる必須の手段であつて、審決のように、単に「燃焼の有無という相違からむしろ当然に考えつく程度のこと」などというべきものではない。
2 本願発明の効果について
審決は、本願発明の効果について、空気との混和性や拡散性にすぐれているLPガスを瓦の焼成と燻化の双方に使用すれば、窯内における燃焼熱の分布及び燻化ガスの分布が比較的均一でそれにむらがないと解されるから、本願発明の燻し瓦が焼きむらや着色むらの少ないことは、気体であるLPガスを使用したことから予想しうる範囲にあると認められる、としている。
しかしながら、右に挙げられる効果は優れたものであつて、これにより製品の歩留りが向上するという効果も得られ、これらの効果は、空気との温和性や拡散性にすぐれたLPガスを未燃焼状態で供給して瓦の燻化剤として使用するという本願発明の構成を選択したことによる結果として始めて奏し得るものであるから、審決の判断は誤りである。
(被告)
請求の原因の認否と主張
1 請求の原因1ないし3の事実は認める。
2 同4の主張は争う。
1 その1の主張について
第1引用例には、瓦の焼成に、重油、石炭、薪といつた液体或いは固体の燃料を使用することが記載されているだけで,本願発明が使用しているLPガス等のガス燃料までの記載はないことは、原告主張のとおりである。
しかしながら、瓦素地の焼成は、900℃~1000℃の高温に加熱してあぶりと焼締めをするところにその目的を有するものであるから、そうである以上、その程度の高温にまで加熱できるものでありさえすれば、その燃料は、固体、液体或いは気体の種類を問わず使用できる筈である。事実、第2引用例に記載されているように、陶磁器素地等の焼成という右の程度の高温に加熱する工程の燃料として、LPガス使用することが既に知られていたのである。そして、燻し瓦の製造法が一般の焼成瓦の製造法と異なるそころは、単に燻化工程の有無に過ぎず、殊更燻瓦の製造法における焼成工程を―それもその焼成に使用する燃料までも―特殊視すべき必然性はないのであるから、審決が、本願発明の焼成用燃料を容易に考えられるとした判断に誤りはない。
また、第1引用例には、瓦の燻化に、石炭、薪、松葉といつた固体の燻化剤(燻化剤燃料)を使用することが記載されているだけで、本願発明が使用しているLPガス等のガス燃料までの記載はないことも、原告主張のとおりである。
しかしながら、瓦の燻化は、燻化剤の作用物質たる炭化水素ガスを瓦素地上で炭素に転化させ、黒鉛の被膜を瓦素地面に現出させるところにその目的を有するものであるから、そうである以上、その燻化剤には、炭化水素ガスを発生せしめる固体の燃料のみならず、炭化水素ガスそのものたるLPガス燃料も当然に使用できることは明らかである。
なお、空気の遮断下の燻化工程では、高温の窯内に送給された燻化剤が残存する酸素を燃焼し尽して爆発に関与する酸素を素早く取除いてしまうであろうから、高温の窯にガス燃料を直接送給することによつて爆発のおそれが生じるとも考えられない。さらに、本願発明において、固体の燻化剤を使用する場合のような乾溜工程を要しないということは、燻化剤に炭化水素ガスそのものであるガス燃料を使用したことによる自明の結果に過ぎない。
したがつて、審決が、本願発明の燻化剤を容易に考えられるとした判断にも何ら誤りはないのである。
そして、本願発明では、瓦の焼成と燻化に使用するガス燃料の供給口を焼成窯に別々に設けているが、焼成に使用するガス燃料は空気と共に窯内に送給することが不可欠であるのに対し、燻化に使用するガス燃料はその儘窯内に送給するだけで足りるのであるから、この点は、審決認定のとおり、燃焼の有無という相違から当然に考えつく程度のことに過ぎないものである。
2 その2の主張について
本願発明の構成に進歩性が認められないことは前記1の項に記載のとおりであるから、この点において原告の主張はすでに理由がない。
なお、原告は本願発明が優れた作用効果を奏する旨主張するが、本願発明は、瓦の燻化にLPガス等のガス燃料をその儘窯内に送給するものであり、かように稀釈もしない生ガスをその儘使用する場合には、むしろ比較的多量のスス、サビ或いはシヨーユといつた欠点が瓦表面上に生じると予想されるから(乙第1号証の第328頁以下)、本願発明がさほど優れた効果を奏するものとは考えられない。
第3証拠関係
原告は、甲第1号証ないし第7号証を提出し、乙各号証の成立を認めた。
被告は、乙第1号証、第2号証の1ないし3を提出し、甲号各証の成立を認めた。
理由
1 請求の原因1ないし3の事実は当事者間に争いがない。
2 そこで、原告の主張する審決取消事由の存否について検討する。
(その1の主張について)
原告は、まず、審決が、本願発明においては瓦の焼成と燻化の双方にLPガスを使用している点につき、「LPガスは陶磁器の焼成用燃料の1つとして周知のものである上に、燻化剤燃料の作用物質たる炭化水素そのものであつて、………当然考えつく程度のことに過ぎない。」としているのは誤りであると主張する。
弁論の全趣旨によれば、原告は、審決の右判断のうち、本願発明において瓦の焼成にLPガスを使用する点については明らかに争つていないことが認められるから、右の原告の主張は、本願発明において燻化にLPガスを使用する点についての審決の判断が誤りである、というものと解される。
よつて検討するに、成立に争いのない甲第3号証によれば、第1引用例には、「燻瓦焼成過程の概要」の項に、「……加熱を行い、この加熱過程の終了と同時に、即ち窯内被熱物が所定の最高温度を保持する間に、燃焼室部分に、炭化水素に富んだ揮発物を溜出し易い燃料、例えば松薪、松葉と松薪との混合物、或は揮発分の多い石炭等(かかる意味で使用される燃料を燻化剤燃料と呼ぶ)を一時に急速に投入する。」(第144頁第2行~第5行)、「燻化剤燃料は、高温の燃焼室内で乾溜を受けて乾溜溜出蒸気(これが燻化剤となる)を溜出する。この燻化剤は………被熱粘土表面に接触して熱分解を受け、条件のよいときには粘土表面に殆ど純炭素を薄膜状に残し、その他の分解生成物は煤状になつて小孔から窯外に放出される。この間が燻化過程で、通常1~2時間で終了する。」(前同頁第12行~第16行)と記載されており、成立に争いのない甲第6号証によれば、「乾留」とは、「石炭や木材などの固体の炭素化合物(有機物)を熱に耐える容器に入れ、空気が流通しないようにして数100℃以上まで熱し、炭素化合物を熱分解して揮発する分と揮発しないで残る炭素質の部分に分けること」と説明されていることが認められるから、本願発明の特許出願前の燻し瓦の製造法においては、燻し過程における燻化剤燃料としては石炭、松薪、松葉等のような固体の燃料を使用し、これを窯内で乾溜して発生する蒸気により燻化を行つていたものと推認される。
ところで、一般にLPガスが爆発し易いことは当裁判所に顕著な事実であり、これを1000℃~900℃(前掲甲第3号証第143頁第30行~第32行)の高温に加熱された瓦素地を収容している焼成窯に送給すれば、バーナー等の器具を使用する場合は別として、爆発の危険を伴なうおそれのあることが予想されるのであるから、前記第1引用例の記載をもつてしては、そこにLPガスを燻化剤燃料として使用することが示唆されているとすることもできない。第1引用例には、前記のとおり、燻化剤燃料が窯内で乾溜されて発生する蒸気中に炭化水素が含まれており、これが瓦の燻化を行なう旨の記載があり、かつ、LPガスが炭化水素から構成されていることは公知の事実であるけれども、それだけでは、焼成窯内にLPガスを送給したときに予想される危険性の解決手段が明示されない限り、LPガスを燻化剤燃料に使用することが可能であることを示唆しているとはいえないのである。
ところが、本願発明においては、瓦素地の燃成後に、バーナー口その他の窯の開口部を密閉して外気の侵入を遮断する措置を行ない、バーナー以外の別の供給口からLPガスを燃焼させることなく送給して、瓦素地面に黒鉛を沈着させ、燻化を行なうことができたものである。
そして、成立に争いのない甲第2号証によれば、本願発明はその構成を選択することにより、作業性が著しく簡易となり、燻し着色効果を均一にすることができて1等品の得率を優良にできるという効果を奏することが認められるから、これらの効果は従来技術からは予期できなかつた顕著な作用効果といわなければならない。
そうすれば、本願発明が第1引用例及び第2引用例の記載に基いて容易に考えられる発明であるとした審決の前記判断は、本願発明の進歩性についての判断を誤つたものというべきであるから、審決は違法であり、取消を免れない。
3 よつて、本件審決の違法を理由にその取消を求める原告の本訴請求を正当として認容することとし、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法第7条及び民事訴訟法第89条の規定を適用して、主文のとおり判決する。
(石澤健 藤井俊彦 判事清野寛甫は転任につき署名押印することができない。石澤健)